痛いOTAKUのポエム

地雷多すぎ人間の愚痴

twitterで見た「意識の高いオタク」「他人の好きに配慮できないオタク」の話で思ったこと

私自身、そういったタイプの人間であるので耳が痛い。

むちゃくちゃ極端に「オタクは陰キャで社会に出てはいけない人間なんだから、問答無用に石の下のダンゴムシのごとく隠れて生きていかなくてはならない」などと思うほどに意識が出来上がってはいないが、「他人様に迷惑をかけない程度には節度を持った楽しみ方をしていきましょう」とは思っているし、何よりtwitterのツイートを見て思った事を書くくらいには意識が高い。

 

あまり詳しくはないので簡単かつ適当に書くと、「電車を撮りたいがために線路に立ち入ったりする人」と「マナーを守って、入っても大丈夫なところからフラッシュも焚かないで撮る人」では、同じ「撮り鉄」であったとしても後者の方が意識が高い人間であると思う。

 

私自身、マンガやアニメ、ゲームは好きではあるが「内容(ストーリー)で人気がある作品」と「イラストの方向性で人気がある作品」では、前者の方がいい方は悪いが高尚であると思っているし、世間一般においてもそういう評価がされているものだと思っている。
(※根拠としては、「『食戟のソーマ』は週刊少年ジャンプで7年もの間連載したうえで複数回アニメ化までしているのに複数の読者層からナメられまくっている珍しいマンガ」というツイートが3700RTもされていることが挙げられる)

もちろん、作品を売るため、知ってもらうためにお色気要素は必要だけれど、お色気要素で何が良かったかと聞かれて、パッと答えられない作品は「高尚ではない」判定をしてしまっているように思われる。
逆にお色気で釣っていてもお色気以外が良ければ、もはやお色気要素は無視されるように感じている。分かりやすいのが『Fate/stay night』ではないだろうか。

ちょっと前に私がtwitterで書いたことだが、『「なんか今季で面白いアニメない?」と聞いてお色気要素強め作品が来たら「私はそういうのが好きな人間だと思われているのか?」と疑ってしまう』というのは、まさしく自らが「意識の高いオタク」であるという証左であろう。
(わざわざこんな書き方をするのも意識が高い感じがして嫌である)

さて、ここまでが導入である。
こういった話は、オタクだけのものだろうか。

たとえば、「本を読むのが好きだ」という人間が2人居たとする。
片方は昔からの文学作家――太宰治でもいいし、芥川龍之介でもいい――の作品を読んでいる。
もう片方はライトノベル作家――もちろん誰でもいい――の作品を読んでいる。
どちらのほうが印象が良いだろうか。

世間一般には、昔からの文学作家の作品を読んでいる人の方が高尚な趣味をしていると思われるだろう。
そのような共通認識がある中で「俺はアイツ(ラノベを読む側の人)より立派である」みたいな見下しかたをしていたとして、どうすればその認識を止めることが出来るだろうか。(もちろん、見下してよい道理はない)
「意識の高い人(オタク)」の完成である。

ここを実際にツイートしたり、面と向かって言ってしまうと「他人の好きに配慮できない人(オタク)」に進化する。

 

何が言いたいかっていうと、これは「主語がデカすぎる話」ではなく「主語が小さすぎる話」じゃないかなと思った。

せっかく1300文字書いたけど、もう1時だし眠いし終わり。